自然の力は驚異的です。
例えば草。誰が世話をしたわけでもないのに、いつの間にか庭の草がぼうぼう、なんてことも少なくないでしょう。
道路脇の草が自分たちの背丈を優に越していて歩きにくかったなあ、という思い出もひょっとしたらあるかもしれません。
ですが、特に一度人間の手の入った自然はその力をすべて人間の都合のよい方に発揮してくれるとは限りません。
伸びすぎた草は枯れます。成長しすぎた木は枝や葉が外からの光を遮ります。それを繰り返すと、気味が悪いお化け屋敷のような森ができてしまいます。緑は少なく、枯れた草木や蔓(つる)がはびこる、「自然」とは呼びたくないような「自然」になってしまいます。
原生林といわれる人の手が全く入っていない自然はとても貴重でそのままにしておくことが大切です。
ですが、日本の多くの森林はこれまでも利用されてきており、その森林がよい状態を保つためには、人の手を加える必要があると言われています。とりわけ、スギやヒノキに代表される人工林は、手入れをしないと上手く育ちません。
具体的には、草刈り、枝打ち(よい枝を残すために、枝を切ること)や間伐(木や竹の間の距離をつくるために、木や竹を切ること)などをしてあげると、森に光や風が入り、それによってよい土壌や森がつくられます。
地球温暖化が進む昨今で、諸外国などでは違法伐採が進み、「木を切ること=悪いこと」というイメージがあるかもしれません。
日本の場合は、木が込み合いすぎて、育てるべき木や他の植物がだめになってしまう前に、定期的に人が手入れをしてあげる必要があります。
「環境」と一口に言っても、私たちの身の回りにはたくさんの要素があります。「海」「山」「川」「森」…。これからは全て繋がっていて、切り離して考えることはできません。
きれいな森がある山は、雨水を蓄え栄養のある水をゆっくり流します。
きれいな森には、多様な動植物がたくさん存在します。
山に蓄えられた水は川へと流れます。
きれいな川の中やまわりに住む生き物もきっと多いでしょう。ゴミでたくさんの川には虫や鳥だって寄り付きません。
川から流れ出た水は、海へと辿り着きます。
私たちの食卓に並ぶ魚、海藻、貝、彼らは海で生きています。私たちが口にする海の恵み、栄養がいっぱいでおいしい方がいいですよね。
そのためには、それまでの過程が大切。その中の1つ、森もとても大切です。きれいな森は、私たちの豊かな生活を生み出してくれています。
森のボランティア、というと「よい森にすることが目的」と思われますが、森をよくすることは、森だけではなく、もっと大きな、私たちの身の回りの環境もよくしてくれていることになるのです。
人々はどうして森林を守っていくのでしょうか?
景観をよくするため?災害に強い環境をつくるため?
理由はきっとどれも正解。なぜなら森は自然にも人にも役割をたくさん果たしてくれているからです。森林が持続可能になるように自分たちで守っていくことは素晴らしいことです。
では今度はもう少し広い視点から考えてみましょう。
たとえば、A地区の森林は整備を進めてきれいになったとします。では少し離れたB地区はどうでしょうか?見ていて気持ちがいい森でしょうか?
活動をした場所としない場所では、きっと大きい違いがあるはず。
自分の活動場所を整備して、きれいになる。とても素晴らしいことです。
ですが、ぜひそこだけで終わりにしないでいただきたいです。森でボランティアをして、何がいい森か、そうでない森はどうだったか、もうあなたは知っているはず。
「木を見て森を見ず」ということわざがあります。
物事の一部分や細部に気を取られていると、全体が見えなくなることです。
環境は地区内、市内、県内、日本中、世界中、どこまでも繋がっています。一部だけがよくなっても、全体がよくならないと本当に環境がよくなったとは言えません。
環境全部をいきなりよくすることは難しいかもしれません。
ですが、「みんなでみんなのまわりの環境をよくしていく」という意識を持つことが、行動への第一歩。美しい森林を、環境を、みんなでつくっていきましょう。